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ポツダムの市民イニシアチブ



「第20空軍第509混成部隊は、1945年8月3日頃を過ぎた時点で、有視界で爆撃できるようになり次第、広島、小倉、新潟、長崎のうちのひとつにはじめての特殊爆弾を投下する」


1945年7月25日付けで原爆投下作戦を指揮するスパーツ大将に出された軍事命令書には、こう書かれていた。命令書は、当時ワシントンにいたハンディ参謀副長官から出された。だが、命令書の最後には、命令書がスティムソン陸軍長官とマーシャル陸軍参謀総長の指示と承認を得て出されたとある。


そして、この指示を出したスティムソンとマーシャルは当時、ポツダム会談のためにポツダムにいた。大統領になったばかりのトルーマン米国大統領をサポートしていたのだ。命令書には、当時ポツダムにいた大統領が原爆投下を承認(命令)したという記述はない。しかしこれは、原爆投下の命令がポツダムから発せられたという事実を揺るがすものではない。


この史実を知ったポツダム市民のイニシアチブを発端に、2005年12月、ポツダム市議会において、当時トルーマン米国大統領がポツダム会談時に滞在していた邸宅前の広場を「ヒロシマ広場」と命名することが決議された。当時「小さなホワイトハウス」とも呼ばれていた邸宅は現在、リベラル政党である自民党(FDP)系の財団によって使用されている。だが、邸宅は現在も、「トルーマン邸宅」で通っている。


ポツダムではその後、市民参加の下、1945年8月6日と9日の痛ましい過去を記録に止めておこうとするイニシアチブが生まれ、ヒロシマ広場に過去を記録する記念碑を設置しようという運動が開始された。イニシアチブは、ポツダム市長をはじめとして、社会の様々なグループや団体など、たくさんの人々によって支持されている。そのための募金運動が2006年6月から開始され、これまでに1000ユーロ以上(約18万円相当)の寄付金が寄せられた。


2007年11月にはさらに、ヒロシマ広場に記念碑を設置するための「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」が設立され、募金運動をより活発に続けていくことになった。ベルリン在住の被爆者外林秀人さんも被爆体験を語ることで、つくる会の募金運動を支援している。


秋葉広島市長は、こうしたポツダムでの運動を「宥和への願い」と評価している。ポツダム会談時、周辺から排除されたポツダム市民には、原爆投下には一切関係なかった。しかしポツダムには、原爆投下命令が発せられたという過去の影が永久につきまとう。


イニシアチブを取ったウーヴェ・フレェーリヒさんとニールス・ナーバーさんはいう。原爆投下という悲劇の命令がポツダムから発せられたことを知る必要がある。そして、二度と過去を繰り返してはならないと。


つくる会では今後、募金活動のほか、原爆投下命令に関するシンポジウム、記念碑のアイディアコンペなどを行いたいとしている。


(ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会、ふくもと)


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インフォメーション:

秋葉・広島市長への手紙
(2007年8月)


秋葉・広島市長からのビデオメッセージ
(2006年6月)、PDFファイル(独文)


ヤコブス・ポツダム市長メッセージ
(2006年6月、独文)


ポツダムの市民イニシアチブ