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山岡秀則さん、原爆の体験を語る(2006年7月)


「原爆で親を亡くした子」


山岡秀則、広島在住

今から61年前の1945年8月6日午前8時15分に、広島市上空600メートル地点で原子爆弾が炸裂したのです。当時の広島市には、約30万人が住んでいたと言われていました。


原爆が爆発した瞬間に、数百万度の高熱によって10万人の人々が焼け死んだと言われています。動物も植物も一瞬に死に絶えたのです。更に、その年の12月末日迄に4万人の人々が、原爆を受けた事により死亡したのです。私の親も原爆で受けた火傷で、1週間目に死去しました。


私は、原爆で親を亡くした事により、原爆孤児となりました。


当時は、食糧がとても不足しており、私も食べる物がなく、みるみるうちに栄養不足となりました。その時の症状が今も手に残っています。私は親を亡くした為に、祖父の家に引き取られましたが、5才の時、祖父が死亡した事から私の悲劇が始まるのです。その悲劇とは家庭内の差別とイジメ、暴力です。差別とは、家庭のものみんなが食事をしているのに、私だけがみんなと食事ができません。子供だから食事の内容を見ていると祖母が「あっちに行け」と言って、水をかけるのです。みんなの食事が終わって、私が一人で食事をするのですが、どの料理も何も残っていないのです。例えば魚等は骨しか残っていないのです。ご飯も無く、残っているのは、サツマイモ、ジャガイモ、南瓜の三点、だから私はみるみるうちに栄養失調となりました。


小学校に入学した時、担任の女性の先生が、私が栄養失調である事を知り、私の栄養不足を直してくれました。例えば、先生が作ってくれた弁当、給食の時など他の生徒よりたくさん私に食べさしてくれました。また、土曜日とか祭日の日等、私を先生の家に連れ返り、世間の良い事、悪い事を教えてくれました。


私が小学校五年の時の六月に、あまりにも祖母が「家から出て行け」とか、「死んでしまえ」と何度も言って私を責めるのです。


そんなある日、私は自殺を思いつき、今まで学校を休んだ事が無かったのですが、学校を休み、近くの海に行って死を選び、海に入りました。


首ぐらい入った時に男性の声で「坊主、何をやっているのか」と言われ私を助け上げ、その男性の家に連れて行かれて事情を聞かれ、私の家での悲惨な出来事を色々話しました。


私を助けた男性は、「死ぬのはみやすいが君が死んだら君の親の墓は誰が守るのか」と私に聞き、私は、「はっ」としてそうなんだと思いました。


男性は、「辛い事は沢山あるが強い気持ちを持ち、生きていかなければいけない」と話してくれました。


それから間もなく一通の手紙が来たのです。その手紙の内容は「今日より母さんと呼んでください。」と書いてありました。その手紙の母親は、マスコミを通じて原爆孤児が80名いる事を知り、その一人の私を指名して母親になってくれました。1950年代は、電話等も余り無く、手紙でのやり取りだけでした。その手紙に私の日々の出来事等手紙に書き送りました。母親からは、励ましの手紙、食べ物、服等を送ってくれました。


私は、今、色々なボランティアをしています。その一つが原爆の語り部です。


日本国内の小学生、中学生、高校生、一般の人々が、広島に修学旅行、平和学習等で来られます。人々に、1945年当時広島の人口は約30万人おり、瞬間に10万人の人が焼死し、その年の12月末までにさらに4万人の方が無くなった事、その後も被爆者は亡くなり、昨年度に亡くなった広島の被爆者は2、400人もおり、今も苦しみながら一生懸命生きております。これまでに24万人の尊い生命が奪われています。現在の被爆者は私も含め8万人くらいいます。


あの忌まわしい戦争を、原爆を受けた日本人は決して風化させてはいけません。だから、私は一生語り部を続けていきたいと思います。ドイツの国の方々も戦争を体験されています。三度原爆が使われないよう、戦争の無い世界になるよう願っております。


最後に、私は母親の顔など覚えておりません。時々母親が生きていたらなぁと思います。余りにも母親への思いが強いのです。


現在の被爆者8万人位、又原爆投下より今日までの死亡者数24万人位で、昨年度だけで5、300人(全国で)の被爆者が亡くなっています。


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原爆の体験を語る:

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